海外日系人大会とは

1 開催の経緯

第2次世界大戦中に米国各地の在留邦人、2世等の日系人12万人は、米国のキャンプに強制収容されました。この事を受けて日本では味噌、醤油、日本語書籍などの慰問品を赤十字社を通じ同キャンプに送付しました。1945年9月、在米日系人は、敗戦の混乱と、食料をはじめ生活必需品にも事欠く日本の悲惨な状況を目の当たりにして、またキャンプに送付された慰問品に対する感謝の気持から1946年から52年まで、粉ミルク等の食料や衣料等を「ララ物資」にのせて祖国日本に送ってくれました。 ララ物資とは、米国のキリスト教団体、労働組合を中心として結成されたアジア支援組織の名称のことで、Licenced Agencies for Relief in Asia、頭文字を取って”LARA”と呼ばれました。1952年当時の価格で送付総額400億円を超えたといわれ、その20%、80億円が日系人からのもの。1946年6月にワシントンの救済統制委員会が認可して活動が開始されました。これを契機に、米国各国のみならず、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン等に日本救援のための日系人組織が誕生し、各国赤十字社を通じ支援活動を行いました。 1956年末、日本の国際連合加盟が実現したのを機会に、日系人のこれまでの長い労苦を慰め、これら日系人がララ物資の送付等で示された祖国への温かい同胞愛に感謝するため、国会議員が中心となって、1957年5月国際連合加盟記念海外日系人親睦大会を東京で開催することとなりました(第1回大会)。 1960年の第2回大会からは海外日系人大会と改称し、1962年の第3回大会からは毎年大会を開催しています。

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2 目的

海外および国内に在住する日系人が母国で一堂に会し、居住国の実情を日本に知らせ、あわせて国際交流、国際理解、国際親善を深め、対日理解の促進を図る。

3 参加者資格

日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人、並びにその子孫の二世、三世、四世等で国籍、居住地、混血は問いません。

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